作戦日誌  Mission 16
作戦開始地点  Windhoek
攻撃目標  なし
作戦概要  Windhoekから日本の師団駐屯地へ。とにかく無事に帰ること、それだけ。



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 4時半、起床。気温は16℃。睡眠不足でかなり眠いが、なんとか起きることができた。荷物を車に積み込む。Kさんと一緒にチェックアウトし、B6号線でWindhoek西方のHosea Kutako国際空港へ。俺は12時のフライトだが、彼女は8時のフライトなので空港の前でお別れ。この2日間、いろいろとお世話になった。特に美味しい食事が食べられたことには本当に感謝だ。

 彼女と別れ、再びWindhoekの市街地に戻る。まだ早朝なので空港までの往路はガソリンスタンド(以下「GS」と表記)が開店していなかったので、給油することだけが目的だ。

 空港と市街地の間に1ヶ所だけ検問所がある。2度目に通った時も往路と同じ50代ぐらいの女性警官が対応した。何を思ったか、喉がかわいたから町で飲み物を買ってきて欲しいと言ってきた。買ってくる気はさらさらないが、まともに相手をするのはめんどくさいので何か買ってきてやると話を合わせた。ガソリン代をすぐ取り出せるようにシフトレバー付近に100ナミビアドル(以下『N$』と表記)札を数枚まとめておいたら、目ざとくそれを見つけて媚びるような顔で10N$(約100円)くれと言ってきた。警察官でありながら、勤務中に旅行者に金をせびるのがムカつく。無視してパスポートを渡したが、中も見ずに俺に戻して再度10N$くれと言う。なんだこいつ!?ナメてんのか?だんだん腹が立ってきた。こんなヤツには1セントもやりたくない。バックミラーを見ると、後ろに数台の車が列を成している。後ろに車が並んでいると言ったが、一瞥しただけでまた金をくれと媚びた顔で言う。自分が金をもらうためなら後ろで並んでいる連中のことはどうでもいいらしい。開いた窓に肘を付きながら顔を突き出しているクソババアを殴りつけてやりたい衝動を抑えて俺はこう言った。「No money for you, fuck’in bitch!!!」そして、そう言った瞬間にキックダウンで車を急発進させる。バックミラーで後ろを見ると、クソババアが路上にひっくり返っていた。クズめ、少しは懲りろ。

 そんなこともあったが、B6号線を西進してWindhoekの市街地へ向かう。今回の遠征で最初に給油したGS、つまり空港から最も近いGSに入って最後の給油をした。1リットル=11.88N$(約118円)。給油だけしてまた空港へとんぼ返り。途中で観光バスが路肩の鉄柱を数本薙ぎ倒している事故現場を通った。車を返却するまでのわずかな残り時間、事故だけはしたくない。事故現場からしばらく走り、路肩に停車した。

 7時、12℃。朝飯にする。宿を出る時にKさんからもらったチーズバーガーを食べる。食後は周囲をブラブラしながら索敵してみるが、多肉植物は何もなかった。

 8時、13℃。空港へ向けて走り出した。時間はたっぷりあるので、途中で小川をのぞいたりしながらのんびりと走る。


B6号線の景色1


B6号線の景色2

 8時40分、空港に到着。空港前の道路脇で、この2週間を共に過ごした相棒と最後の記念撮影をした。遠征における走行距離は7090.7km。俺の足となり、時には宿となり、よく走ってくれた。お疲れ様、そしてありがとう。


相棒と最後の別れ

 空港の敷地内にあるHertzの駐車場で車を返却する。黒人の従業員が20分ほどかけて念入りに車をチェックした。無理はしないよう運転したし、灌木なんかで多少細かい傷はついたかもしれないが、損傷やへこみ等はないはず。Hopetownでタイヤ店のオーナーが替えてくれた少しサイズが大きいタイヤについては何も言われなかったが、車体下部のプラスチック製のアンダーカバーが破損していると指摘された。たぶんピエテルの牧場で2回目の索敵をしたポイントを走っていた時に石にぶつけたのだろう。修理完了後に電子メールで請求の連絡が来ると説明を受けた<いまだに請求は届いてないけど。。。>。

 レンタカーの返却が終わるとやることがなくなった。見て回るような店もないので、ベンチに座って作戦日誌を書く。12時半のフライトまでまだ3時間もある。暇だ。どうせ待つなら身軽になろうと思い、南アフリカ航空のカウンターで搭乗手続きをした。預け荷物はスーツケースとお宝が詰まった段ボール1箱。2つで26.8kgになったが、超過手荷物料金を請求されることもなく、すんなりと手続きは完了した。その後、出国手続きと手荷物検査をさらっと済ませ、搭乗ゲートで搭乗を待つ。この空港はナミビアの玄関口であるにも関わらず、搭乗ゲートがたった4つしかないので迷いようもない。時間はまだ10時。ようやく両替の窓口が開いたので、残った手持ちの現地通貨のうち、300N$(約3000円)を緊急事態のために残し、残りの全ての紙幣をアメリカドルに両替した。両替できない硬貨を数えると29N$(約290円)ほどあったので、嫁への追加のお土産としてキーホルダーを購入。こんな感じで時間を潰してもまだ時間があるので、『週刊プロレス』の4度目の通読をして過ごした。

 やがて定刻から10分ほど遅れて飛行機への搭乗が始まった。タラップを登って機内に入る時、万感の思いを込めて大きく深呼吸した。最後のアフリカの空気を吸うために。そして、飛行機は無事に滑走路から飛び立った。数々の試練を乗り越えてここまで来た。もうポケットに残しておいた300N$も必要ない。無事にナミビアから出られたことに安堵した。緊張が緩んだこともあり、眠くなったので30分ほど睡眠。危うく機内食を寝過ごすところだったw 南アフリカ共和国(以下「RSA」と表記)のヨハネスブルグが近くなると、眼下にはたくさんの大規模農場が見えてきた。こうした開発がタコ物はもちろん、貴重な動植物を絶滅へと追い立てる。この辺りにはE.davyi(ダビー)があるはずだが。。。


飛行機から見るナミビアの大地1


飛行機から見るナミビアの大地2


飛行機から見るRSAの大地1


飛行機から見るRSAの大地2


飛行機から見るRSAの大地3


飛行機から見るRSAの大地4


飛行機から見るRSAの大地5


飛行機から見るRSAの大地6


飛行機から見るRSAの大地7


飛行機から見るRSAの大地8

 14時半、ヨハネスブルグのO.R.Tambo国際空港に到着。トランジットの手続きと手荷物検査をさっさと済ませて搭乗ゲートへ。

 16時10分、香港行きの飛行機に搭乗開始。いつも通り早めに乗り込む。離陸後の最初の機内食を食べてからずっと寝続け、合計で約12時間のフライトのうち8時間ほども寝ていた。起きたら到着まで1時間半を残すだけだった。最後の機内食を食べ、香港に到着。

 香港は雨だった。ショッピングには全く興味がないので、空港内の店には目もくれずに搭乗口へ。そこで待つ。予定より15分ほど遅れて、14時15分に飛行機は香港を離陸した。名古屋までは4時間のフライトだ。

 離陸して1時間半も経つと、沖縄の島々が見え始めた。どこまでも青い空とどこまでも青い海。水平線の彼方にあるはずのその境目は全くわからない。その青い世界に様々な形の雲が浮かんでいる。この辺りは第二次世界大戦末期、1000機以上の特攻機が散っていったエリアである。まだ20歳前後であるにも関わらず、必死の任務に出撃した彼らはどんな心境でこの美しい景色を見たのだろうか。そして、凄惨な戦いが繰り広げられた沖縄本島。海を埋め尽くすほどのアメリカ軍の上陸用舟艇と軍艦を見た時、沖縄にいた将兵と民間人はどれほどの絶望を味わったのだろうか。上空からは戦争の面影は全く見えないが、今を生きる我々は平和の礎となった戦争の犠牲者を決して忘れてはいけない。そんなことを思っていたら、機内食が運ばれてきた。つい5分前の感傷などすっかり忘れ、「この牛肉のワイン煮込み、うめぇーっ!!!」と喜ぶ俺。。。

 18時50分、名古屋空港に到着。預け荷物をピックアップする前に家族に無事帰国した旨を電話した。普通の人がする一連の手続きに加えてプラスアルファの手続きをして最後のゲートを出る。1年間に及ぶ準備とアフリカでの苦労が報われた瞬間だ。そこで千葉のOさんにも帰国の電話報告をした。あとは電車で師団駐屯地に戻るだけだ。

 新幹線に乗るために名古屋鉄道で名古屋駅へ。携帯電話からブログに帰国の報告の記事をアップした。名古屋駅で新幹線に乗り換える。改札口を通ってホームへ出るまでの間に切符を失くしてしまうというポカをやらかしたが、そのまま乗車して静岡に向かった。

 静岡駅の改札口で切符を紛失してしまったことを駅員に申告すると、有価証券だから次回から気を付けるようにと言われただけで再度の支払いは許してくれた。背中にパンパンになった大きなリュックを背負い、両手にスーツケースと段ボール箱と3つの大きなビニール袋を抱えて疲れきった俺を見て同情したのかもしれない。できれば空港から荷物を宅急便で送りたかったが、段ボール箱はもちろん、スーツケースの3分の2もお宝が詰まっているのでできなかったのだ。静岡駅には親父と嫁が迎えに来てくれていた。嫁は俺を見るなり、「お帰り。でも、もう2度とアフリカには行かせない。」と厳しい一言。何で!?話を聞くと、遠征中にケニアのナイロビのショッピングセンターをソマリアの武装組織 アル=シャバブが襲撃し、67人の死者と多数の負傷者が出るという事件があったという。遠征中に俺が一度も電話連絡をしなかったため、ケニアがナミビアと南アフリカ共和国から数千kmも離れていることを知らない嫁は、心配で夜も眠れなくなって体調不良になってしまったとのこと。なるほど確かに電話連絡しなかったのは俺が悪い。まあ、帰国早々に口喧嘩してもしょうがないので話題を変えた。

 22時50分、師団駐屯地に到着。ようやく帰り着いた我が家。まずはシャワーを浴びてすっきりする。嫁が俺の好物であるカレーとアボガドサラダを作ってくれていたので食べた。美味い。いつもの日常だ。もうアフリカを感じさせるものはない。部屋の隅に置いた段ボール箱とスーツケースを除いては。。。


作戦終了地点  師団駐屯地
戦果  なし
本日の行軍距離  131km(Windhoekの空港まで)
総行軍距離  7090.7km(Windhoekの空港まで)





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